Love the world you live in.

自分の世界を愛そう!がテーマ。食べもの、旅行、ひと。島暮らし、英会話講師を経て2016年8月からシドニーにワーホリ。※ブログ改装中

「伝わらない」ことが何よりつらい。

何もかもうまくいっていて、とくにこれといった悩みがなくても、あるとき小指を角にぶつけてしまってぶつけた先を蹴飛ばしたくなるような衝動にかられることだってある。(どこかで見たたとえなんだけど。)

でも蹴飛ばしたからってなんもならないってよくわかってるんだけど、それくらい怒りのやり場に困る。小指をぶつけるのは、だれもわるくないから。誰のせいでもないし自分のせいでもない。

 

なんかそんなことを考えたここ最近。

 

仕事でベテランの域に入りかかってる(と、個人的には思う。でもやっぱりぺーぺーなんだけど、)けども、時々不可解で納得できないことがおこる。

自分はどんな人にも、縁があったからには、自分の経験を生かして精一杯応援したいし、できる限りのことをしたいって思ってる。もちろん、自分が消耗しすぎたり、相手をだめにしない程度に。

それを伝えてるつもりなんだけど、伝わらないことがある。

中には合わない人がいて当然って思ってるから、もしわたしがそう思われたなら、我慢せずとっとと話してもらうか、時には離れて行ってくれていい。かなしいけど、仕方ないし、去る者は追わない主義。来るもの拒まず。

嫌いだっていいよ。人間だもん。まんべんなく人に好かれるより、誰かに嫌われてもいいから、ぜったいこの人がいい!って思われるほうがいい。

立場がどうってわけじゃない。あなただって選べるのだ。

苦手だって思い始めた人の良いところを探そうとするのか、

直接話してみるのか、(たいてい、先入観で苦手になるのはコミュニケーション不足なだけ。)

時間がもったいないし精神的につらいから逃げてしまうのか。

最小限にして会わない方法だってある。

 

もう一度言う。選べるのだ。

 

こうやって考えるまでに時間はかかったけど、本当に自分が好きな人たちといられる方を選べるなら選びたいって思うようになった。どうあがいても、自分のまわりに残る人たちは、自分の学びにとって必要なのだから、give inするしかない。(give up, あきらめるじゃなくて、自分をゆだねる感じ。降伏する。)

 

どれだけ自分が気をつけていても、言葉を尽くしてもわかってくれない人は一定数いるし、

逆になにも言わなくてもすぐにわかる人たちだっている。

 

ただわたしにとっては、この「伝わらない」というもどかしさに、落ち込んでしまう。

何を言っても真意が伝わらない感じ。勝手に誤解される。勝手にジャッジされる。

わたしが言葉を学び続けている理由もきっとこの過去の体験から来ている。

無理やり説得しようとか、そう思ってるわけではない。わたしもあなたのことを理解したいのに、勝手に離れていかないで。

 

さっきと矛盾してるみたいだね。離れるのももちろん自由なんだけど。

ただ、その前に少しは想像とか、した?

 

それも気のせいなのかしら。

 

わたしはある時から楽観主義者になって、

昔は石橋をたたきすぎてこわれて渡れなくなるくらい、叩いて確認してわたってたんだけど、(いまもそれあるかなあ)

今はわたってみないとわからない!こわれてから考えよう!

に、ちかい。

(ある程度もちろんリスクマネジメントもするんだけど。)

 

将来起こりそうな不安を予測して、おそるおそる、それに対応できるようにするよりは、(もちろんそれも大事ってわかってる。)でも、実際にわたしに具体的に指摘されてから、歩み寄るようにしたいって思ってる。

じゃないと、これで良いって、わたしがいいって言ってくれる人たちにも、態度を変えて、おそるおそる接するなんて、信頼してくれている人に失礼だ。

だから、向こうも信頼してくれていると、信頼する。

だから嫌だったらいってほしい。知らないだけだから。

わたしも言うようにしてる。

 

・・・してる?

たぶん。




例えば、

わたしのことを、「なにも包み隠さずはっきり言うところが好き」って言ってくれている人が大半のところに、

「少し配慮がたりないから、もうすこし言葉を選んで気をつけて話してくれ」って一人に言われたとして、

わたしは皆が傷つくのを恐れて、それ以降うすっぺらいことしか言わなくなってしまうのか?

 

もちろん、その一人に、具体的にどの言葉に傷ついて気になったのか、わかれば心底謝りたいし、その人に関しては言葉を選びたい。

でもだからといってわたしのスタンスをまるごと変えたくはない。

 

そもそも、他人を変えようと思わないほうが良い。

わたしだって変えようと思ってない。自分が変わるほうが早い。おもしろいことに、自分が変わると相手も変わったりするのだけれど。





大学生のとき、個別指導の塾でバイトしていたことがあって、昔から教えることがすきでわりと楽しくやっていた。長くつづいたほうだと思う。

かなり慣れてきたある頃、突然、教えてた子にやめられることになって、そのことについて当時の上司にすごくわたしの責任みたいに言われたことがあって、すごく落ち込んで、こんな思いしたくないから、もうやめたいってすごく泣いたことがあった。それはもう世界の終りみたいに。今思えば、大げさで笑えるんだけども。

そのときに書いた日記に、とある先輩が、「そんなことでやめてどうすんの。大変な仕事ってわかってて始めたんでしょう。今度は、先生がいい!って言ってくれる人がでてくるまで、がんばったらいいやんか。」と、厳しく言ってくれたことがふと思い出されて、久しぶりに泣けた。

 

これだけ気に入ってくれてる人もいるのに、そうではない人の意見が絶大みたいになってしまうことが多々ある。

 

昔と違うのは、そういう時に、ただそんなどんよりした気持ちとか、思い込みに支配されるんじゃなくて、わたしのそばに、未だ、いてくれる人について考えられるようになった。

ちゃんとそういった好意を見ようとすると、ないわけではない。

 

いやだったら、ここにいないよ。

 

そういうとき、わたしのそばにちゃんといてくれる人たちに対して感謝がわきおこる。

「先生がいい!」って言ってくれる人が、いまはいる。楽しんでくれる人がいる。ありがとう。

そんな人たちのために、そうではない人のためにも、精進あるのみ。

そんなわけでたまには小指をぶつけることも何かを気付かせてくれるために必要だったりするのかな。



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